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フレディ写真展〜口ひげを縁取るはアイライナー [音楽]

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ちょうど10年前のフレディの命日11月24日、
土曜日だったので私は家でのらりくらりとクイーンなど聞いていて、
なんとなく普段聞かないラジオなどつけてみたら、
いきなりオドロキのアナウンスが。
渋谷パルコにてフレディ・マーキュリーの写真展(↑上のポスター)、
というのは知っていて、その内行こうと思っていたのだが、
なんと本日フレディのコスプレで行ったら記念品プレゼント!!
会場はROLLYさんやコスプレしたお客様で賑わっていますヒャッホー!!
みたいな内容にえええ〜っと涙眼になって慌てる私。
クイーンファンとして名高いROLLYさんも気になるが、
それより何より、記念品?限定記念品ですって!!?
と貧乏根性丸出し、というか命日に限定の!フレディの!記念品を!
もらうということ、それがプライスレス。

その時点で3時だか4時、
一刻も早く向かわなければ!!
が、コスプレ!時間がない、手持ちのものでどうにかせねば!
本当は初期フレディみたいな格好がしたい、
さもなければ、その頃髪が短目だったので、’I’m going slightly mad’
の時の髪型(↓これ)なら結構再現出来る、というか普段からそんな髪だ。

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しかし服のハードルが高すぎる、
今なら難なく手持ちのもので似たようなものが出来るだろうが、
10年前、私は少々若かった、家中探せばどうにかなったかも知れぬが、
とにかく時間がない。
とりあえず目についた手持ちのもの、
合皮の皮パン、合皮のキャスケット、よし、ではしかたがない、
80年代アグレッシブ・フレディ・スタイルを目指そう。

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(↑まあこんなイメージ)

しかし時間がない、とはいえ、
上半身裸はさすがにヤバい、胸毛ベストも持っていない、
いや、そんなものあるのか、いや、そんな問題ではない、
とめまぐるしく考えた結果、白いランニングシャツを着用。
それもちゃんとしたものではなく、10年近く着ているリアル肌着で妥協、
しかもフレディは皮帽子の時はランニングを着ていない、
ああもういいやあとは勢い。

というわけで、皮×皮に上は何か羽織って急いで渋谷へ。
パルコに走り、展示会場まで駆け上がり、トイレにダッシュ。
何故ならPVCっぽくないただの皮パン、しかも肌着では弱いと感じた私は、
最終兵器、口ひげを装着することを決意していた。
しかし装着するものがない。
買う暇もない。
仕方がないので、アイライナーで手描き。
本来の用途で目化粧をグリグリと更に漆黒に補強した後、
鼻の下に緊張と焦燥と躊躇で若干震える線で口ひげを描いた。
そして上に羽織っていたものを脱ぎ、ランニング(肌着)に。
あれ?ギャグでしかない、やらない方がよほど良いのでは…?
と理性に後ろ髪を引かれながらも会場に走る。

口を手で押さえながら血走った目で、上は下着あとは合皮で走る私は、
嘔吐しそうな変質者状態。
やっとの思いで会場に着くと、あれ…?随分静かだぞ…?
コスプレの人なんぞいない。
それどころか会場付近に係員以外いない。

恐らく先ほど私がラジオで聞いていた時が盛り上がりのピークで、
もう夕方も過ぎた今は通常営業、
よく考えてみたらコスプレして来るような気合いの入った人は、
もっともっと早く来て満喫して、夕方辺りにはお腹いっぱいなのだろう。

予想外のまったり空気に出ばなを挫かれ、
羞恥心がもりもりとわき上がるのを感じつつ、
手描き口ひげを披露しながら入り口で「一枚。」、
微妙な微笑みを誘いながらチケットを無事に入手、
さて、と思うと二人組が近づいて来た。
「写真撮っていいですか?」

反射的に口ひげ方面に手を運びながら動揺しつつわけを聞いてみると、
主催だか共催だかの会社のスタッフで、
コスプレをしてきた人を記録に残すことになっているそう。
ああ…もっと気合い入れたかった、
まさか写真だなんて、コスプレした人たちで撮ったら楽しかろう、
完璧なコスプレなら誇らしくその姿をおさめもしよう、
少なくともこんな程度でも友人と来ていたらウケ狙いにもなろう、
しかし私は今一人、手描きの口ひげ、下着姿。

だが、カメラを向けられた途端何かどうでもよくなり、
とりあえずフレディ的なポーズ(今思うとそんなでもない)で、
「あ、なんかわかるそのイメージ(笑)」
などと言われながら悪ノリ寸前で写真撮影。
その後しばらく談笑、
もう少し頭のネジが緩んだら歌っちゃうんじゃないかくらいになった。
開き直りは一番の味方。

その時の写真がどうなったのか知るべくもないが、
記憶を頼りに描いてみると恐らくこんな感じ↓だったと思う。

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一通り恥を晒した後やっと入場、
予想外のハプニングから心機一転心を落ち着け、
二次元フレディと対面。

ああ、見た事がない写真ばかり!
赤ちゃんのフレディ、学生のフレディ、色んなフレディ。
特にミック・ロックの撮った写真は、
フレディが当時こうありたい、と思う像はこうなんだろうな、という感じの、
実に美しい写真が多く、壷を抱えた幻想的な写真の前では、
しばしたたずんでしまった。
とても空いていた中それでも時々お客さんの視線をチラと口元に感じたが、
気にしない。
心は潤えば広くなるものだ。

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(↑見つめ合った写真)

そんなわけで写真展を堪能し、最後にパンフレットを購入。
フレディ三昧で幸せ気分、
思わず口ひげのことをすっかり忘れるところだったが、
会場を後にして2、3歩でハッと思い出して、
慌ててトイレに駆け込み、ひたすら口元を洗う。
じっくり写真に向き合う浮遊感から、現実に戻った気がした。

その後別途あった用を済ませ、
なんとなく桜木町に足を延ばし、馴染みの好きな景色のところに向かう。
土曜日だったため夜のみなとみらいは恋人たちの所有地状態、
そんな中を皮帽子に吹く風もハードボイルドに、
独り奴らの補給地=ベンチを一つ確保。
大音量でクイーンをイヤフォンで聞きながら、
早速パンフレットを開く。
薄いものだが未掲載の写真も思い出しつつなめるように眺め、
キラキラと美しいみなとみらいでフレディ命日を堪能したのであった。
聞いている曲の良いフレーズと相まって最後の方のページに載る、
赤ちゃんのフレディの写真に、じんわり。
赤ちゃんフレディ↓、
なんて朗らかで健やかで明るい笑顔の赤ちゃんなのでしょう!

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と、こんな風に過ごした10年前の24日は、
非常に印象的な日だった。

ちなみに、そもそもその日に行くことにした発端、
記念品とは、銀色のQueenのロゴとエンブレムが上部にさりげなく入った、
白い便せんだった。
えっ…
フレディのグッズじゃなく、これ?これだけ…
と思ってしまったのは確かであるが、
そのためにした涙ぐましい間抜けなコスプレも、
その分良い思い出なので、良しとしよう。

さて、フレディ命日記念シリーズ、
次はついにロンドン、フレディの家参りの回!かな?




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フレディ・マーキュリー、道化師は誇り高き王 [音楽]

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Freddie Mercuryの命日がもうすぐだ。

昔、なんとなくCDレンタルショップでクイーンのアルバムを手に取った瞬間、
ズキューン!とフォーリン・ラブしてから以来、彼を常に敬愛している。

瞳に惚れてからとりあえずベスト盤を聞いてびっくり、
たたみかけるような個性溢れる曲、曲、曲で空間がねじれたかと思ったが、
一度はまったらもう中毒一直線。
音にも惚れ、曲にも惚れ、バンドにも惚れ、メンバーそれぞれ好きだったが、
特にフレディにぞっこんとなり、
思春期真っ盛りだったせいか脳内で同居状態、
花を見てはフレディといるつもり、
オペラを聞いてはフレディと聞いているつもり、
まだインターネットに疎かったのであらゆる書籍・映像を血眼で探しまくり、
とりあえずクイーン楽曲を歌いまくり、
架空の会話を無言でするに至るほどのめりこんでいた。

フレディに惹かれた理由は、
顔(特に眼)を初めとして歌声その他星の数ほどあるのだが、
知れば知るほどの魅力、その人物像そのものも大きい。
それが伝聞でしかなくとも、虚構の集合で一片の真実も語られている、
という前提で。

フレディは誇り高い。
Queenなんて命名してしまうのが完全にしっくり来るほど、
ごく若いうちから「スター」である自負を密かに抱き、
豪奢なものを好み、貴族的趣味、
その美意識の赴くまま堂々と生きていた。
上の写真↑のような王冠と毛皮が彼ほど似合う人がいるだろうか。

それでありながら、その個性的な美意識は、
時に常人には理解できないオドロキの趣味にぶっ飛ぶ。
扇ですかそれはみたいなケープはまだしも、
全身タイツに胸毛コンニチワとか、
全身目玉だらけ+赤い紐みたいな衣装とか、
スーパーマンに肩車とか、
しましまパンツにサスペンダーだけとか、
何故かベティちゃんのTシャツとか、
いったい何がどうしてこうなった、
という奇抜な衣装も多い。
ソロのPVのやりたい放題もオドロキと感心でいっぱいになる。

それをただ奇抜であろう、ショックを与えてやろう、という策ではなく、
どうも本当に好きでやってる感じが、誇り高い。
当時からフレディは一部ではお笑いすれすれ、
というかお笑いそのもの的なイメージも持たれていたようだが、
堂々と実践し続け、誇らしい感じさえしてしまうのが素晴らしい。
初期のステージでのシャンパン片手に「これは本当のダイアモンドだよ」
なんて指輪を見せびらかすパフォーマンスなんて笑わせるためとしか思えないが、
どうも半ば本気で満足しているっぽいところが…
だから逆に決してステージを過剰にシアトリカルにすることもなく、
パフォーマンスに頼りきることもなく、あくまでミュージシャンであった。

彼は世界の道化であり、世界の王でもある希有な人だ。
笑われようが、満足して、「優雅なお辞儀」で返す、
そんなノーブルな道化であり、世界と自分自身を楽しませる。

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(↑これぞ世界の道化師。)

シアトリカルにする必要がない、
それはフレディ本人が充分シアトリカルだったから、ということもある。
性格的にも、境遇も。
特に境遇は。

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(↑ザンジバルでのフレディ、母上と。花輪がかわいいぃ〜!
なんとも異国情緒に溢れている。)

ペルシア系インド人、パルーシー教徒のバルサラ家の長男として、
アフリカの孤島・ザンジバルに生まれた、
フレディことファローク君は、
多くの召使いに世話された裕福な幼年時代を過ごし、
学校はインドの英国式全寮制スクールへ。
ここでスポーツに音楽に優等だったおぼっちゃまだったファローク、
14歳の時革命のためイギリスに亡命、
一転して暗く寒い国土で「移民」という立場に立たされたファローク、
元々の夢見がちでシャイな性格を強くして行く…

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(↑インドの学校でのフレディ。明るいようなシャイなような感じが可愛い。ちなみに真ん中。)

フレディが殆ど生前口にしなかったこの若い頃の経歴は、
人によってはことさらドラマチックに吹聴しそうなものだが、
彼の誇りはそれを良し、としなかった。
本当の人生が始まるまでは、どんなドラマチックなことでも口にしない。

美術学校に入学したフレディ、
まわりに派手な生徒がいるため目立たない笑い上戸の細身の生徒、
歌真似をしても大した注目も浴びずに友人のバンド練習にくっついている、
自分でもバンドに入ってみるが鳴かず飛ばず、
しかしついに前からちゃちゃを入れていたバンドに加入することに、
そのバンドに名前を与え、
そして「フレディ・マーキュリー」と名乗るようになる。

おそらくここで初めて本当の人生が始まり、
世界の道化かつ王である「フレディ・マーキュリー」が誕生したのだろう。
そして抑えていた欲望、美意識、芸術が溢れてゆく。
それでも、フレディ・マーキュリーは、
ファローク・バルサラだったから生まれたわけであって、
両者はフレディのファンタジーの中で融合し、
空間と時間を超えてひとつの大きな個性を作り出したのだろう。

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(↑まだバルサラ時代のフレディ、敬愛するジミヘンの真似ショット!
ギターを弾くのではなく姿を真似しちゃうあたりが好感。
このブレスレットフレディっぽい!とか言って身につけてるのと近い。
更に美大時代、フレディはジミの絵をやたらと描いていたのだが、
ここらへんも共感。)

フレディは自分の美意識から外れることはしないし、口にしない。
クイーンは80年代、南アフリカでライブを決行するにあたり、
差別国家に迎合するのか、ファシストバンドめ、
と散々バッシングされたのだが、
実はフレディが、その西洋の糾弾者がほとんど行ったことのないアフリカで生まれ、
幼少期に差別を目の当たりにし、更には本人も「西洋白人」ではない、
というのは皮肉である。
けれど彼はその事実を使っての反論は全くしなかった。
更にその死においても、HIVのことを世に知らせる旗手となれたはずだ、
という声も死後あがったが、死の前日までアナウンスはしなかった。

政治的な発言も音楽も好きではない、と言っていたその通り、
徹底的に個人主義を貫き、自分の美意識の通りに生きたその姿は、
実に潔い。
ただ見ている時、聞いてる時、楽しんでくれればいいんだ、
その単純な哲学に裏打ちされた、素敵な美意識、
完璧なエンターテイナーである。

ああフレディよ、君に乾杯!

ところで、フレディが自ら命名した「マーキュリー」だが、
マーキュリーとはローマ神メルクリウスの英語読み、
ギリシア神話のヘルメスと同一視される神で、
他の神の使者となったり旅人の守り神となったりするのだが、
フレディは自分の芸術の使者となるべく、この名前をつけたのだろうか。
なにしろ、この神は「翼のついた帽子やサンダル」を身につけ、
ケーリュケイオンと呼ばれる短い杖を持っているのだ。
それは初期フレディのステージ衣装にあらわれる翼、
そしてあの短いマイクスタンドで再現されている。
あまり言及されることはないが、このフレディのヘルメス化はとても面白い。
流石自らの美意識に忠実なフレディ!である。

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(↑翼と杖のようなマイクスタンド。
本当に彼は「マーキュリー」になっていたんです!)

ということで、命日までまだあるので、
いくつかフレディの記事を書こうかと思うので、続く…



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ピート・サンプラスの思い出(3/3) [スポーツ]

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(↑米国、牛乳の広告でのサンプラス。こんな一面もあるのね!カワイイぜオイ、
と当時発見した時にたにたしてしまいましたことを告白いたします)

サンプラスの試合、
特に決勝に近い試合を見ている時の私は大変な騒ぎであった。
全米のような時差がひどい地域での決勝のためなら、
夜中だろうが早朝だろうが起き、
テレビにへばりついて全神経を集中させていた。
動悸も激しく、後半になるにしたがって
「し、心臓が!この中にお医者様はいませんか!」
「はい!深呼吸をしなさい!」
などと脳内一人芝居をする有様だった。

不利な展開になれば、ありとあらゆる神に祈りを捧げ、
「天にましますわれらの父よ、恐み恐みも白す(かしこみかしこみもまおす)、
南無阿弥陀仏の、アッラーよ、エコエコザメラク…」
と唱え、
画面に念力を飛ばし、

「膝がいたむなら痛みをとらん、
彼に集中力を与えたまらん、疲労とりますらん…」
と呪術的に呟いたり、

「今から彼の苦しみを軽減させるために1分間息を止めよう、
私が苦しい分彼に力が行くはずだ」
等と全く根拠の無い独自の呪術を発案・実行してみたり、
とにもかくにも相当危険な状態になっていた。

そんな挙句に彼が負けたりしたら、もうこれは世界の終わりであった。
2000年全米の決勝で彼が迅速に、あっけなく勝ち進んだ後迅速に、
あっけなくサフィンに負けた時など、
目玉が溶け出すほど号泣し、学校を大幅に遅刻した。
テニスファンなど学校ではそう多くいるはずもなく、
泣きはらした顔で登校するのは非常に憂鬱であった。

その分、優勝すればもうこの世の春だった。
勝手にファンになり、勝手に期待し、勝手に号泣し、
勝手に応援し、勝手に呪術まで行い、勝手に喜んでるだけだが、
そういうものだ。

そこまで入れ込んでいた彼に、私はたった一度、会ったことがある。
正確には、見たことがある。
忘れもしない2000年のウィンブルドンでのことである。
同じくサンプラスファンの友人とロンドン小旅行に行き、
丁度男子準決勝の日にウィンブルドンに行った。
何故決勝の日に合わせなかったのか、
旅行に浮き足立ち幼く愚かだったためか判然としないが、
決勝の日が帰国日だったので、とにかく準決勝の日に行ったのである。

難なく勝った彼の出待ちをすべく駆けずり回り、
全く定かでない情報に踊らされ、
7月だというのに異常に寒い中座り込んで待ち続け、諦めかけた時に…

頭上の橋をわたる、サンプラスを、ついにこの目で見ることができたのだ。
呆然としながら、彼が視界からいなくなる寸前に、私は叫んだ。

「ピート、優勝してねーーーーー!!!!」(一応英語で)

彼は振り返った、たった一瞬、振り返った。
今思えば、彼が橋を渡っている最中に声をかければ、
こちらを見てくれたかもしれない。
手ぐらい振ってくれたかもしれぬ。
もしかしたら“Thanks”くらい言ってくれて、
会話が成り立った可能性すらある。

けれど私は、憧れの人の登場に完全に機能を失い、
姿が見えなくなるその寸前に、発声、言語、
その他の人間の基本的な機能を思い出し、声をやっと出した。
後から自分の愚かさを責めたりもしたが、彼は私の声を聞いた。
それだけでも、充分である。

その後帰国し、空港まで迎えにきた親にまずサンプラスの勝敗を聞き、
優勝を知って成田空港で友人と万歳三唱したのも良い思い出である。

そのウィンブルドン体験の興奮が冷めず、
勢い余った私は、愛読していたテニス・マガジンという雑誌に、
サンプラスとの遭遇を漫画に描いて投稿する、
という突飛なことまでしてしまった。
するとそれが読者のページに採用され掲載されてしまったのだ。

Tennis magazine 2000年10月号、杉山愛選手の表紙のやつである。
漫画はあくまでもおまけで、ただ遭遇を伝えたく手紙を書いたのに、
漫画が採用されてしまった。
テニス・マガジンは粋なことをしてくれて、その掲載号にサンプラス大大特集までしてくれた。
そして掲載のご褒美に送られてきた、優勝カップを高々と上げるサンプラスの写真は、
今でも私の宝物である。

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↑これが!その紙面!レアですぜ〜!恥ずかしい!しかし嬉しかったんだよ…


いまだに潰えない夢として、
私はいつの日かサンプラスに会えるくらい有名になるか、
サンプラスに会えるくらい有名な友人をつくるか、
有名じゃなくてもサンプラスと仲が良い人と知り合いになるか、
またサンプラスに遭遇するくらい運の良い人になって、
もう一度彼に会いたいと思う。

その時、
「あの時お会いして以来ですね」
と、オードリーの春日並みに突飛な挨拶をして、
サンプラスをきょとんとさせる、という野望を密かに抱いている。
その時こそ、人間としての基本的な機能を忘れずに、
サンプラスとの会話を成立させたいものである。

記念すべき2000年ウィンブルドンでの優勝を最後に彼は優勝から遠ざかり、
2002年の全米で、これまたアガシとの決勝で、
当時の優勝の前人未到の記録を打ちたて、
翌年引退した。

ああ、これで長い長い、グランドスラムでのサンプラスへの愛が、
一応の終わりを迎えてしまったわ、と感慨深かった。
彼が時折シニアのリーグでまたプレイをして、
衰えを見せていないことも知っているが、やはり現役のころの、
狂ったような情熱を向けるのとは違う気がする。

しかし最近、昔の試合のビデオを見て、
結果も分かりきってるのに懐かしさより興奮と感動が上を行くので、
ああ、やっぱり好きですねぇ、サンプラス。

そして初めにも記したが、
ここ数年のお気に入りはラファエル・ナダルである。
サンプラスならフェデラーでしょ?と言われそうだが、
フェデラーのように多少似たタイプのプレーヤーより、
むしろナダルである。

なんだかサンプラスと正反対のナダル。
体力が半端なく、
後半が劣勢になると負けてしまう可能性が高かったサンプラスと違い、
マッチポイント握られてからも勝つかもしれないと思わせるタフなナダル。
サーブやスマッシュが素敵なわけではないナダル。
派手でキャラクターとしての人気も高いナダル。
サンプラスとナダルの共通点は、勝利への執念、冷静さ、
変な癖(しかしナダルの癖の神経質さは、
どちらかというとアガシに似ている気がする)、
宿命のライバルがいる、
バナナを食べるのが似合う、というところか。
どちらにしろ、贔屓がいると、日常生活がちょっぴり刺激的になるものだ。

つい先日の全仏オープン決勝、見事ナダル優勝!!
ナダルはかつての全仏時並みの圧倒的強さとまではいかず、
全体にフェデラーの方が押していた気もするが、
その分波があり、淡々とそれを受け止めて自分のテニスをし、
ここぞという時に鬼気迫る攻撃を仕掛け、
赤土を知り尽くしたナダルの勝利であった。
このような王道の組み合わせで、
一方的でなく、スコア以上の展開があり、様々なスランプを超えての勝利、
を見ると、ああ、テニスファンは幸せである、と思うのだ。


ナダルは素敵だ、フェデラーもすごい、
それでも私の最高のテニス・プレイヤーは、
いつまでも、ピート・サンプラス。
ファンレターまで出しちゃったのもサンプラスだけだ。
その日々は素晴らしかった。
素晴らしいプレイと歴史、そして個人の思い出まで築いてくれたサンプラス、
ああ、ピート・サンプラス、
君のテニスよ、永遠なれ。

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↑私にとって、ウィンブルドンの優勝カップが一番似合うのは、
やっぱり君なんだぜPete!

さあ、次はウィンブルドン、楽しみだ!


最後に、私の大好きなサンプラスの名言。
特に凝ったものではなく、ストレートな物言いだが、
このような言葉を実際に実践出来る人というのは、
やはり偉大なのだと思う。
テニスだけではなく、例えば音楽でもなんでもこの姿勢で臨みたいものだ。

「僕は一度たりとも、
自分の力を疑ったことがない。
たとえ世界最高の選手と対戦する時もだ」

ピート・サンプラス



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ピート・サンプラスの思い出(2/3) [スポーツ]

サンプラスの魅力とはなんぞ。

まず勿論、プレイが素晴らしい。
なんでも素晴らしい「オールラウンドプレイヤー」なのだが、特にサーブが素晴らしい。
彼のサーブはボールを放り投げてラケットを当てるその瞬間まで、
どのような打法でどこに飛ぶのか、誰にも分からないという特殊なものだった。
特に窮地に立たされた時に炸裂する、センターへの200キロサーブは、
コートを真ん中で切り裂く稲妻のようであった。

スマッシュも素晴らしい。抜群の箇所にボールが飛んできたら、
彼も飛び上がり、空を切ってラケットを振り下ろした。
これはダンクシュートに似ているので「ダンクスマッシュ」とかなんとか言われていた。
この効果はゲームの上でも視覚的にも素晴らしく、やんややんやの喝采になったものだ。
更に、お、来るか来るかダンク来るか!?という絶妙なボールに対して、
飛び上がりながらもいきなり身をかがめて見送ることもたまにあったが、
そのボールはぎりぎりアウトだったのだ。
その冷静な判断もまた痺れるのである。
バックハンドが片手だったのでその時の腕の広げ方が、
また蝶が舞うように軽やかで清々しかった。
特殊な訓練の結果である特殊な切り札に、
名称がついてしまうような特徴あるショット、まるで漫画だ。

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↑「ダンクスマッシュ!!」


プレイは誰よりも冷静で洗練され、隙がないのに、どことなく愛嬌のある癖があった。
先述のベロ出しもそうだし、変にサイズの大きいウェアを着ることが多かったので、
打つたびに袖まわりやすそをだるそうに整える。
そんなに気になるならジャストなサイズにすればいいのに…と思ってしまうが、
これも愛嬌。
額の汗は親指の甲でぬぐう。
シャツを着替えると襟が内側に丸まっていたりするのに気がつかない。
グリップの巻き替えが異常に早い。
変な色のドリンクを飲んでいる。
この隙だらけの感じがまたギャップがあっていいのだ。


彼は性格が決して明るい方ではなく、普段は地味でおとなしいため、
人間的魅力に欠けるなどとマスコミに言われていたことがあった。
更にプレイそのものも、全盛期には強すぎてつまらない、まるで機械、見てて面白くない、
退屈な王者、などのとんだ言いがかりをつけられていた。

勿論私はこの話を聞いた時、てめーらどこ見てやがるんだ、
メンテナンスしてやるからちょっくら目ン玉貸しやがれ、
と怒り狂ったものである。
彼のどこがつまらないというのだ。
あの華麗なショットを御覧なさい!
あのベロ出しを御覧なさい!
あのどことなく暗い目と、対照的なへら~~っとした笑顔を御覧なさい!
猫背かと勘違いされるほど盛り上がった美しい背筋を御覧なさい!
あの子供みたいに袖をぐいぐいする仕草を御覧なさい!
バナナが似合う様を御覧なさい!
と、勝手に憤っていたのである。

しかしインタビューなどでは彼は真面目だが、ウィットに富んだ鋭い発言が多いので、
これでなんでつまらんなどと言われるんだろう、アメリカってなんだろう、
とますます理解に苦しむ私であった。

また別の魅力として、強いんだか弱いんだか分からない体力と精神力がある。
彼は地中海の人間独特の、先天性貧血症を遺伝的に患っており、体力があまりなかった。
水分調整やら色々をしくじったらえらいことになるらしい。
彼が前半絶好調だったのに、いきなり何かが抜けてしまったみたいに絶不調になって、
簡単に負けてしまうことがあったのはこういうわけだったのである。
あのベロ出しも、きっとその対策的な癖だったのかもしれないし、
吐いてしまった時はまさに貧血症発症状態だったのかもしれない。
それで6年間も世界ランク1位だったなんて…
どんなにか厳しい自己管理をしていたのでしょう。

コートで吐いたのも驚きだが、コートで泣いたこともある。
ずっと慕っていたコーチが脳腫瘍で倒れ、もう危ない、となった時、
観客が試合中に「コーチのためにがんばれ!」と叫んだ。
すると彼はだらだらと涙を流し、泣いてしまったのだ。
対戦相手が試合の延期を持ちかけたがそれを断り、
泣きながらゲームを続け、そして勝った。
これを素敵と言わずしてなんと言おう。
普段表情があまり豊かではない彼が、そんな時や優勝した時に、
つい漏らしてしまう感情。
つられて泣くのはバカとファン、
2000年ウィンブルドンで怪我をしながら優勝を果たし、
長い選手生活のうちで初めて観戦に来た両親のところへかけあがり、
抱き合い涙した時、テレビの前の私は当人よりよっぽど号泣していたものだよ。

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↑「ピート・サンプラス優勝ーーー!!!」
(チャンピョンシップ・ポイントをとって優勝した直後、
一回転がったりした後立ち上がった時の微笑みはこの顔)


スポーツ系の漫画にありがちな要素、
特殊な訓練の結果である特殊な切り札、
名称がついてしまうような特徴あるショット、
加えてプレイと日常のギャップ、劇的な涙、
ここまでそろった彼には、更に漫画には欠かせない、宿命のライバルまでいた。

サンプラスが出ているだけでどんな試合でも大抵面白かったが、
ライバルであるアンドレ・アガシとの試合となると、
もうその面白さの高騰っぷりは、大インフレ。
正反対のプレイ、正反対の性格、でも互いに互いを尊敬し、
互いと戦う時、自分がベストを超える状態になることを自覚する。

「彼と戦うときはコートに電流が流れるんだ」
などと互いに言い続け、アガシにいたっては
「ぼくの生涯で一番エキサイティングなことはピートとのライバル関係さ」
などとのたまい、私のようなファンを感電死させる勢いだったのである。

アガシ左、サンプラス右
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↑「電流が流れるんだ」


本人たちがそう言うくらいなのだから見ている方もそう感じていた。
私は活躍の後期しかリアルタイムでは見ていないが、
その中でサンプラスの最も素晴らしい試合を選ぶとしたら、
1999年ウィンブルドン決勝と、
2001年全米オープン準々決勝の両者の対決である。
特に後者は4セット全てがタイブレークという、
ミラクル、ミラクラー、ミラクレストな、
活用してもしても足りないような試合であった。
ファンの方なら覚えているだろう。

まだ続く!
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ピート・サンプラスの思い出(1/3) [スポーツ]

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テニスファンの皆様、ごきげんよう。
(この台詞が元の方の声で再現された人はテニス通!)

私はスポーツはやるのも見るのも、あまり興味が無い。
便宜上この記事のために<スポーツ>のカテゴリーを作ったが、
おそらく今後ほとんど使用しない自分的無駄カテゴリーになるかもしれぬ。
泳いだりよじ上ったり、は好きだが、特に球技には苦手意識が。
そんな私が唯一観戦を心から楽しむもの、それはテニス。

今年の全仏オープンテニスもいよいよ佳境。
このところ贔屓のナダルが勝ち進んで行くのを見ながら、
いつも思い出すのは、あの選手。
元々家庭がテニス好きだったので自然と見ることの多かったテニスを、
必死に見続けるようになったきっかけである、ピート・サンプラス!

ああ、ピート・サンプラス…どんなにこの名前に心躍らされ、
動揺させられ、感動させられたことだろう…

ピート・サンプラスはギリシア系アメリカ人のテニスプレーヤーで、
歴代屈指の選手に数えられ、90年代に他の追従を許さぬほどの、
圧倒的な強さでテニス界に君臨していた。
14回のグランドスラム優勝、6年間の世界ランク1位、業績を上げればきりがない。
彼が2003年に正式に引退してしまったので、
私のテニス熱は熱湯から半身浴適温度くらいに冷めてしまった。

彼の全盛期は90年代半ばかと思われるが、
私は残念ながら少々遅れてきたファンであった。
それでも彼が活躍しだした頃から、
テニスファンである両親が目をつけていたので私も注目していた。

「この人、面白いの。すぐベロを出すの。ぺろっと。」
見ていると、本当にベロを出す。ボールを打ち出す前に、やたらとベロを出す。
ぺろっというか、だらりとした感じではあるが。
「本当だ。ベロだ…なんでだろ」
「さあ、温度調節してるんじゃない?犬みたいに。」
なるほど、特に暑そうな時、疲れて見える時にベロ頻度が上がるようだ。
サンペロス、サンペロスと揶揄して笑う愚かな両親を尻目に、
ベロを出すプレーヤーは私のお気に入りになった。

その後のある試合で、思い切り体調不良だったサンプラスは、
なんと試合中にコートの端っこに駆け込んで吐いてしまった。
驚いた私は「サンペロス(私はしばらくこの名称を使用していた)、
ゲロはいちゃったよ…大丈夫かな…」と、ハラハラしたが、
なんと彼はその試合に勝った。
私はまた驚いた。観客のほぼ全員が、ゲロ吐いたサンプラスの応援にまわり、
不運な対戦相手は全くアウェイな状態で、勢いでも負けてしまったのだが、
そんなことよりも吐いても、空ろな目で身体を引きずるようにしながらも、
プレイを崩さずに勝利したサンプラスの気迫に驚き、この人はすごい…!
この人を応援したい…!と思うようになったのだ。

それは恐らく95年くらいの試合だったのだが、
その頃圧倒的に強かった彼はボカスカ勝ってくれるので、応援のしがいもあるある!
毎月テニス雑誌を数種類立ち読みし、少しでも情報があればインプットし、
特集があれば購入し、グランドスラムの時期は落ち着きを失い、
優勝した直後のテニス雑誌は全て購入し、なんでもない時でも、
「彼は元気にやっているかしら…」とふと思うような長い時期が始まった。

長くなるので、続く。

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逆説のオプティミスト、ルソー [美術]

というわけで、
前回の記事に引き続き、アンリ・ルソーである。

ルソー絵もそう評されることが多いが、
人柄も子供のままで純朴、純粋だったと言われる。
その常人離れするほどの程度により、
彼の生涯は物語のような、
謎と悲哀と夢に縁取られたものであった。

rousseau 01.jpg

ルソーはその絵も人生も、逆説に満ち満ちている。

彼は「レアリスムの画家」と自称し、
見るものを写実的に描いているつもりであったが、
それは一般的な写実主義とはほど遠いものであった。
伝統的なアカデミズム絵画に憧れ続けながら、
次世代を遥かに先取りする絵を描いた。
彼の絵は一見動きのない静止したものに見えるが、
見れば見るほど、他の絵には無い躍動感、生命力が伝わってくる。
画面からの沈黙も同様、画中の全てが音を奏でるようになる。

浮世離れして、自らの価値観でしか生きていなかったが、
同時に非常に権威主義で、名声や大金に憧れ続けた。
これ以上なく穏やかでお人好しだったが、
一方では嫉妬深く激情家であった。
批判も非難もまったく理解せず飄々としていたが、
ずっと根に持っていた。

生涯、悪意あるものから愛あるいたずらまで含めてだまされ続けたが、
死後本人の言及による経歴詐称が長らく人々をだまし続けた。

逆説のオンパレードである。

このような矛盾の中を、ルソーはドン・キホーテさながらに、
人々に馬鹿にされながらも絵画という槍を持って、
ただひたすら理想に向かっての戦いを生涯続けた。

rousseau 02.jpg
(↑画室のルソー。彼の槍と共に。)

ルソーは自分についての細かい嘘をつき続けた。
おまけに自分自身がその嘘を半ば本当に信じていた。
彼は自分の作った世界に理屈を超えて同化してしまう人だったようだ。
自分の嘘を信じ、自分が描いた熱帯植物の熱気に息苦しくなった。
これはもともとの性格もあるだろうが、
長らく不遇の日々を送っていたから、というのもあるだろう。

満たされない現実の代わりに別の世界を創造し、
時にそれに同化してしまう。
ある種の才能とは、宿命の強さから来ると思うが、
その点ルソーは、生きるために世界を創造せざるを得ない、
そのためにそれを描き続けなくてはいけない、という宿命があった。

彼の眼を通すと、日常のありふれた事物も、
彼自身の世界の重要な登場人物になる。
彼は大切なものは大きく描き、存在として大きなものを大きく描く。
遠近法を超えた、古来の尺度である。
中世のキリスト画ではキリストは大きく、
使徒は隣にいても小さくなる。
日本の浮世絵の花魁とその付き人も、同様。
そのような表現をルソーは本能的に理解し、
そのような世界観こそ彼の秩序だった世界にぴったりだったのだろう。

ルソーにとって人間は「いい人」「わるい人」でほぼ分けられたらしい。
この世界観といい、彼は童話的である。
グリム童話等民話で見られる、単純なようで、複雑なようで、
しかし独自の秩序のある世界。
無垢で美しく、しかし残酷で、
常に死がとりまきながら激しく生を求める世界。
善人と悪人、苦難と成功、悲劇と幸運、騙しと愛の世界。

童話の持つ普遍性に惹きつけられるように、
多くの人がルソーの絵に惹き付けられる。
その絵はまれに見るほど完結した、
完全に個人的な世界であるのに、
見ている内に共感してしまうのは、
このようなからくりがあるからなのだと思う。

私はルソーの絵を見、ルソーのことを知れば知るほど、
なんとも言えない哀愁と、優しさを感じる。

横たわる女、そっと匂いを嗅ぐライオン、
笛を吹く神秘の人物、獰猛な野獣、
威厳とユーモアの入り交じった人々、
どこまでもしげっていく植物、ひとつひとつ丹念に描かれた葉、
無数の色を持つ空、太陽、月、
月の光。

同僚のいたずらとも知らず、
現れた骨格標本に深々お辞儀をしてのどが乾いてないか聞く彼。
だまされてもだまされても懲りずに人のもたらす朗報に胸躍らせる彼。
嘲りに満ちた批評を丁寧にスクラップする彼。
絶望的な老いらくの恋に胸焦し、相手の家の外で寝る彼。
誰も来ない展覧会のために飾り付けをする彼。
稚拙さを笑われ回覧される自分の作品を悲しそうに眺める彼。
近所の子供や老人に芸術を教える「教授」であることを誇った彼。
毎晩亡き妻の肖像の前でフルートを吹く彼。
ピカソの開いた「ルソーをたたえる夜会」を、
当然だという、荘厳な顔をしながらも、無邪気に幸福に楽しんだ彼。

そんなひとつひとつのことを思うたびに、
ルソーの使った色さながらに、
ちくりとする暖かい感情が増幅してゆくようだ。

哀感あふれるようなエピソードが多い割に、
悲壮感があまりないのは、ひとえに彼の楽観主義によると思う。

彼は徹底した楽観主義者であった。
絵も、名声も、恋も、最後まで決してあきらめなかった。
時に現実の刃の傷を受けても、
それをかわすために世界を作り、
描き続けた。
そんな絵画のドン・キホーテを、
私はその絵と同じくらい愛するのである。

rousseau 03a.jpg
(↑代表作のひとつ、<眠れるジプシー女>。
布地の色のひとつひとつにここまで月光を浸透させ、表現した人はいない!)



アンリ・ルソー (タッシェン・ニューベーシックアートシリーズ)


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アンリ・ルソーの見た風景 [美術]

ruso.jpg

先日、箱根ポーラ美術館で開催中の、
<アンリ・ルソー〜パリの空の下で>という展覧会を見た。
ルソーは大好きな画家なので、とても楽しかった。


ルソー作品自体は全体からいって多いとは言えないのだが、
類似がある画家たち、影響を受けた画家たちなど、
展覧会の構成は中々だった。

ルソーはパリ市の税関で勤務しながら絵を志し、
中途退職して画家として生き、
そのどの時代にも流派にも属さないオリジナリティで、
20世紀絵画に大きな影響を与えた画家である。

私はルソーの色、筆致、テーマ、そして全体の雰囲気全てが好きだ。

この展覧会のメインであるこの絵↑、
《エッフェル塔とトロカデロ宮殿の眺望》にもその全ての魅力が備わっている。

彼は夕焼けの眼を持った画家だと思う。
彼の描く空は、例え青一色の晴天を描いていても、
夜を描いていても、どこかに夕焼けの無数の色彩が隠れている。
そして額に別の眼、月の眼を持っていた。
彼ほど月を月として描き、
月の光のあたりかた、その多彩さを表現した画家はいないと思う。

この絵は「夕焼けの眼」で主に描かれているが、
この空の色、実際本当に吸い込まれるような美しさだった。
このような色の空が現実にそっくりに現れるかどうかではなく、
夕焼けそのもの、夕焼けのもたらす感情の色そのものだ。

ルソーの特徴である丹念に細部まで描きこまれた木々と葉は、
それぞれの色彩をまといながら夕焼けを反射して柔らかくきらめく。

画面下の後ろ向きの人物、
このような構図で似たような後ろ向きの人物が良く出てくるが、
これはルソー本人であろう。
私たちはこの人物を通して、ルソーの見た風景を見ることが出来る。

ルソーといえば「デッサン力、遠近法の欠如」がよく言われるが、
このエッフェル塔も、おかしいといえばおかしい。
歪んでいるし、下部は切れている。
しかしそれは画面の男にとっての現実の風景であり、
彼を通して見るルソーの現実を、私たちも見ているのだ。

そこでは鉄筋は柔らかく飴のような鈍い光沢を持ち、
空と樹々が反射し合い、
傾いた橋を右側の大木が支えるようにして構図の安定をもたらす。

自らを「レアリスムの画家」と称し、
見たものをそのままに描いていると自負していたルソー。
「実際の現実」とのあまりの違いのせいで人々はそんな彼を嘲笑したが、
彼は「自分の現実」を描いていたわけだから、ある意味正しいのである。
技術のみで判断するしかできない浅薄な人間には、
到底見ることの出来ない美しい世界をこのように私たちに見せてくれている。

独自の眼で独自の現実を観察し、
それを惜しみなく人々に再現してくれたルソーの優しさに、
感謝でいっぱいである。

この他にも魅力的なルソーの絵や、
様々な関連性から導かれた多種多様な画家の絵が沢山展示されていた。

変化球として、
創成期の映画人、ジョルジュ・メリエスの映画も流れていた。
確かに空への関心といい、エキゾチズムへの関心といい、
今まで意識しなかったが、面白い類似があるものである。

他にも、終生音楽も愛していたルソーの、
亡き妻に捧げたバイオリンの曲を再現したものが聞ける。
魅力的だが唐突な展開の多い、不思議な曲だった。
更にその音声コーナーでは、
ルソーの友人であり理解者であった詩人アポリネールの詩を、
本人が読んでいる貴重な録音も聞くことが出来る。
非常に芝居がかった、ゆったりとした朗読だ。

そんな感じで、盛りだくさんの展覧会、
満喫、満喫。
更にショップでルソーの素晴らしい伝記も購入し、
このところルソー三昧である。
そんなわけで彼について考えるところ多々であるので、
次回また書いてみようかと思う。


アンリ・ルソー 楽園の謎 (平凡社ライブラリー)


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